文藝春秋の新刊 2005・8 「ブロックのカレンダー」©大高郁子

レゴですね。わたしはレゴで遊んだことはない。カワダのダイアブロックの世代です。わたしが小学生になり、もうブロック遊びなどしなくなってからレゴが日本では普及し始めたんじゃないか。カワダのホームページ中にヒストリーのページがありました。

http://www.diablock.co.jp/history/history60.html

鉛筆の鞘から進化したそうです。Wikiでレゴの項目をみましたら、世界恐慌のなか、慎ましやかな模型作りからはじまったそうです。玩具とはいえそれぞれ歴史ありということ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B4

舶来イコール高品質ただし高価である、と規定された時代にわたしは育ちました。レゴが当時、高品質で高価だったのか、いまでは不明ですが、何となく国産イコール亜流というか模造というか、肌で分かった時代かな。
バービードールの亜流でリカちゃん、ディズニーの亜流の東映動画、ラス・ヴェガスの亜流のパチンコ屋。もちろん彼女や宮崎駿やゲーム機やその他、日本車・電気製品などその後、日本的で独特な進化の道をたどりそれはそれで新しいヒストリーとなるんですけど。
わたしが遊んでいた頃のブロックは突起がもっと長く、鉛筆の鞘が2つ並んだブロックと形容するのが正しい。上・下のブロックがぱちりと嵌る技術ががらりと進化し突起が抑えられたんじゃないのか。
上前淳一郎「読むクスリ」中で、カワダの製品の苦労話があった。輸出するさいのカラーに関してだったか。下着の色みたいな(ピンク)薬瓶の色(グリーン)が混ざっていては売れないとかバイヤーに言われたとか、海外の慣習を知ることが大切…みたいなサラリーマン訓話でしたか。
イラスト、規則正しさやカレンダーの生真面目さなどをすこしすかして闊達に描かれた強く黒く時々かすれる直線が、玩具であることとカレンダーの普遍とを巧みに融合・混濁させていて、シンプルだけれど見るものにすらりと迫る存在感を知ることができる一葉でした。