岸本葉子「読む少女」角川文庫 18年11月25日刊

読む少女 (角川文庫)

ポプラ社より刊行された「本だから、できること」を改題と記されている。新人賞受賞作が書店に平積みされ一般読者の獲得をめざしてるみたいな現在のポプラ社だけれど、まあ「それいけズッコケ三人組」とか「かいけつゾロリのドラゴンたいじ」とかのポプラ社。この書籍もジュニア向けなのでしょうね。
それにしても(というよりそれならそれで…かな)、この本ってあまりに無内容じゃないかとびっくり。ジュニアにはよけい教訓や教導だのにはなりにくそうだ。
びっくりするほどの才の人じゃない…というのか、この程度の散文を、主に書いている人なのかしら。猫猫先生が、東大教養学部というのはものすごく優秀で、だから彼女はたいした才女だとか、そんな風におっしゃっていたのですが、こうなるとなんともいえないなあ。
思春期の日々、若さゆえの大いなる自意識やそこから派生するもやもや、苛立ち、不信、自己否定その他が彼女の周囲で渦巻いたとしても、それはほぼ誰にでも必然的にやってくる季節みたいなものだし、だいいちそれがどういう形として彼女や彼女の姉に襲い掛かり、それがどう表出されたのかあまりに漠然としか書かれてないから、共感も驚きももてやしない。ジュニアの行動の指針にもならない。
ウニを取りにいって、ウニを取らずにバスで帰ってきたストーリーはでも好きです。だがしかしだ、ああ、このエピソード。向田邦子ならどんなふうに読者をはらはらさせただろうか、川上弘美なら江國香織ならどんな息を潜ますような声詰まらさすような小品に仕立て上げたかと、こうなりゃ無駄とは知りつつ嘆息せずにはいられなかったが。

前略
…私たちはいつの間にか、堤防の上を歩いていた。ふたり並んではいけないので、キタミさんが前になる。右下は、コンクリート。左下は海だ。
波がときおり、足もとの壁にぶつかり叩きつけられ、砕け散る。睫毛の先に、しぶきがかかる。天気はいいが、風が強い。言葉を交わそうとしても、さえぎられるから、無口になる。
キタミさんは、振り向かない。後ろ姿を、ふと眺める。ウニのいる場所を、彼女はほんとうにわかっているのだろうか。
キタミさんの背中が、まったく知らない人に思えてくる。そう言えば、歩き始めてからというもの、彼女の声を聞いていない。海風はまともに吹き付ける。
この先にウニがいるとは、どうしても思えなくなっていた。なのにキタミさんは歩みをゆるめない。
まるで足が彼女を何処までも、連れていこうとしているかのように。ウニを採りに来たことさえ彼女はもう忘れているのではないか。
波の角は、眼がくらむほど青く輝きながら、繰り返し上下する。見ていると、遠近感が失われ、そちらへつい足を踏み出してしまいそうだ。
(戻ろう)
と言おうと思う。このままでは、いつか落ちる。いつか波にさらわれる。
…中略…
いつ、どんなきっかけで踵を返したのか、覚えていない。私たちはまたもとの「市営プール前」の停留所で、バスに乗って戻ってきた。…
後略
 「読む少女」より きらめく海の向うで 46−8ページあたりを抜粋

この書物は、ここだけ読めばいいです。いやあともう前後、半ページくらいか。だからだから、少女時代の濃密さが凝縮され、ついでに読書の背徳性ちかくまで連れて行ってほしかったな。