新潮文庫 07年月刊 堀江敏幸 いつか王子駅で

いつか王子駅で (新潮文庫)

いつか王子駅で (新潮文庫)

前略…
しかし荒川線の真骨頂は、庚申塚あたりから飛鳥山にかけて民家と接触せんばかりの、布団や毛布なんぞが遠慮なく干してある所有権のあいまいなフェンスに護られたながいホーム・ストレートにあり、運転席の背後に立ってこの直線を走るときの硬いサスペンションを介して足裏に響いてくる心地よい震動と左右の揺れは乗合バスでも代替できるものの、横光利一ふうに言えば踏切を《黙殺》してトップスピードに乗り、火花が飛ぶほどのブレーキングで滝野川シケインを抜けて、渋滞でないかぎり東北新幹線の高架下までの公道との併用軌道を相当な横Gを乗客に果たしながら下ってゆくわずか1、2分の下り坂がもたらす原初の快感を満喫できるのは、あの由緒正しい花やしきのジェットコースターを除いてほかにない。飛鳥山での花見も忘れ、王子の狐をも恐れず、私はこのひと区間を何度往復したことだろう。
…後略   「いつか王子駅で」2 より

どうですか、荒川線の魅力感じますかね?長年王子周辺に住んでいたわたしですので都電荒川線はわりと利用してました。著者の感嘆の意味はよく分かるし、でもスピードやスリルをいうんじゃなければ大塚駅周辺もわりといい味かなとも思うし、熊野前あたりの渋滞のイライラさ三ノ輪橋駅の猥雑さなど伝えたい魅力をわたしもいくつか持ってます。速度でいえば学習院下のうっそうとした暗い緑の下もけっこうスピード感にひたれるし。
それはともかく、評しにくい作品だな。抜粋した部分でも分かるが「…ほかにない」まで句点なくとうとうと続くあたりなど、なんとも近代日本文学していて官能的なのだが、中途にいくつもおかれる文学紹介みたいな部分をどう読めばいいのかに、すこしいらいらしちゃう。ただの古書店談義くらいならいいのにね。
作家の魂たる主人公の暮らしぶりに付随する読書体験や文学談義なのだと割り切っていいのか、それとも心象までメタファーとしてくみ取らなくてはいけないのか、美しい脚と歯をもつ女子中学生咲ちゃんとともに読む安岡章太郎なんぞは、そういう意味も含むロリヰタドラマなのではと疑っていいのかどうかも分からないしね。
とはいえ「いつか王子駅で」というタイトルは無視され、駅で待つ「かおり」の女将を振ってまで陸上大会の応援する主人公なのだし、いくつか咲ちゃんの登場シーンはそれなり微笑ましいので、そういう部分を楽しむ川端ウヒヒ文学として読むのがいちばんいいのかもしれないね。

前略…
私は私で、咲ちゃんのながくて美しい真っ白な脚の回転と激しい腕の振りのみごとなバランスに目を奪われ、やがて外枠と内枠の差が徐々になくなってシンクロナイズド・スイミングの団体を見ているように遠近法の詐術の中で六つの頭が寄ってくると、周囲の歓声がますます密度を増してくる。
…後略 同 10 より ラストまであと10数行