* 文藝春秋の新刊 2020・11 「秋の色」 大高郁子

 

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絵を描くという行為自体に無関心なわたしであって、画材関連の知識はほぼない。このたびのイラスト見ても「秋の色ってんだし、紅葉とか枯葉とか描くんだろな」ほどの感想。ついでにいえば外国製でお高い色鉛筆だったりチョークだってりするかもだが、商品の知識もありません。普段使いの商売道具なのだろう、大高画伯はちょくちょく文具や画材をリーフレットに描いているが、残念わたしには実をいうとどんなメッセージも届いてないのです。鉛筆関連、今月を入れ3葉を並べてみます。前回は2017年で、わたし何を記したか…残念、何やってたんだか2017年のリーフレット一つも紹介してないようだぜ。早く片付けなきゃと思っているけど、ちっとも進まぬなあ。

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 もう12月半ば、今月のリーフレットを手に入れ、2020年一年振り返りページも作成しようと近所の書店(dekky401内のくまざわ書店)まで、寒中雪の降る中向かったんだが、残念なことに買おうと決めていた書籍を発見できず。新刊コーナーにも文芸コーナーにも置かれてなく、11日発売予定だったし「次の休みまで待とうか」と諦め帰ってきた次第。

文藝春秋の新刊 2020 10 「4匹の猫」 大高郁子

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天上の青がすてきだ

ロシア関連のブログを書かれている“いちのへ友里”さん「ロシアナ日記」より「スペインの中のロシア」というスレッド紹介します。タンデムの大きな画がいちばん美しい位置で写真撮ってたみたいで気にいったから。

ichinoheyuri.com

リーフレットと同じ位置にお客さんも座ってる。ピカソ生誕100年のイベントみたいに再現したお店のようで、じゃあ明治村と一緒なのか。急に思い出したけど明治村の昔の小学校、イスがみなもの凄く小さかったな、人民はひ弱だったんじゃないのととても悲しかった思い出がある。

スペイン語はまったく知らぬが、クアトロが猫?4?そういうページ拾いました4がクアトロだそうです。

spaingoblog.com

てことはガッツが猫ね、ああキャッツなのね。日本語かどうか怪しいがガツといえば豚の胃袋です焼き鳥用語。スージー・クワトロは四さんなのね。

www.youtube.com

なんか、どんどん飛んじゃったけどすてきなカフェのリーフレットでした。いつもだと過去のナンバーと併せたりするんだけど、スージー・クアトロで今日は充分だ、もうたぶんクワトロ忘れんだろ、フランス語でアン・ドゥ・トゥラで4はやっぱクアトロだそうでそこまで知ってればよかったんだ。

文藝春秋の新刊 2020 9 千駄木の家 大高郁子

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twitterなどで漱石の墓参りとか下町散歩とか幾度か報告があって、久保田万太郎のあとは漱石なんぞを描くつもりなのでしょう大高郁子。こちらの「千駄木の家」は明治村にある鴎外→漱石の住んだ家ですね、ほおYouTubeがある。

www.youtube.com

明治村の公式ページも貼っておこう。

www.meijimura.com

京都市チンチン電車も含めて、明治村はすてきな博物館だと思うが、あれですねわが心には「もっとすごい建物博物館がみてみたい」という願望がありますね。江戸東京たてもの園には行ったことないんだ、在京時代に開園したのだが何だか大昔(50年前)の小金井公園の情けなさを知るせいで、イマイチ行きたいと思わなかった。

戦前からのすてきな建物が東京にも多く残り、解放されている建物のいくつかには行ってます。旧近衛師団の近代美術館、旧朝香宮邸は庭園美術館、鳩山さん家とか永青文庫は細川さん家なわけだが、それらをひとつに集めればいいというものではないし、かといって明治村はやっぱ楽しいし…難しいですが。大高郁子さんの次の仕事がどんなのかまだ不明だけれど、楽しみに待っております。

文藝春秋の新刊 2020 8 「冷コー」大高郁子

10月になりようやく8月・9月新刊を購入、購入したい書籍を探しあぐね「フェルドマン教授の未来型日本経済最新講義」を購入。新刊コーナーにはもうなくジュンク堂地下の経済学書を探しみつける、まあ読みやすく元気が出そうな悪い本じゃなさそう、もうすぐ読み終えます。

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雑駁な区分けでしかないが、大高郁子画伯のイラストの色調・トーンが2010年に明らかに変化するのよね、京都シリーズと言うべき2010年1年通算が何かとても色合い的にユニークですてき。わたしの邪推ですが朝日新聞のPR誌「暮しの風」の表紙がいい影響を与えたんじゃないのかな「暮しの風」表紙を09年に降りるのだが、その画風が文春のリーフレットに乗り移ってったんじゃないのか。

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左は2010年10月「ミルク珈琲@静香」美味そうでしょ。こう3葉並べ、みな味わい感じてみえる。黒や濃い背景、テーブルも深く暗く、でもそれで落ち着きそうなのに、落ち着きとは違って飲みものが動き光って弾んで見える。ダークって暗くないんだと気付いた時期だったんじゃないだろうか。イラストレーターはこんな並べられて迷惑かもだが、わたしはこうして並べる権利を持つ喜びなんですね。

村上春樹 一人称単数

装画は豊田徹也で、わたしとしてはカバー画は落ち着かない印象。絵にこちらの意識が引っ張られかけた。豊田哲也からのひとことがYahoo!ニュースにありましたので貼っておきます。

news.yahoo.co.jp

「石のまくらに」から「ウィズ・ザ・ビートルズWith The Beatles」まで4編、70歳と老齢になった作者が過去の所業をふりかえるというか、でも50年前だかもっと前だかがもうひとつ風景として迫ってこないのは如何なものか。そういう過去か妄想なのかはどうでもいいけど、おぼろげに見えてきそうな過去の景色が書き割り以下で、そりゃ短編だから仕方ないけど。それも豊田徹也のWith The Beatlesのカバーの影響で引っ掛かっちゃったのかも。「謝肉祭」から「一人称単数」の3編は“罪を犯す”でいいか、女友達が犯罪者だったと、犯罪の告白なのか伝授されたってのかそういうのと、見ず知らずの人から強い敵意を甘受するというのと。罪の構成要素を三つのスポットで表すみたいで、でも具体性のない「醜い女性」というのは分かりにくすぎたなあ。

「猫を棄てる」を読んでおらず、だからスワローズ詩集中で春樹さんの父が“転移しまくるあちこちの癌と、重い糖尿病によって…九十年に及ぶ人生に幕を下ろす”という具合に死んだんだなと知る。作家の父親は早く死んだ方がいいという見本、ねじまき鳥はもっと深く濃く重く鋭い戦争文学の名作になっていたのではと春樹さんの父の長寿を残念に思いましたね。

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文藝春秋の新刊  2020 7 どぜうの季節

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飯田屋ですね、国際通りから合羽橋方面に入ったあたり。東京で飲食店やっていたときには合羽橋道具街はわりと通いました、年に4回以上は丼や厨房備品の買い出しに出かけた。駒形どぜうや今半など有名店での食事の体験はままあっても、買い出しで行ったときはそそくさという感じで「帰りに美味いもの食った」とはなんなかったな。

dozeu-iidaya.com

昨日は、土用の丑の日。職場、わたしたち清掃担当控室向いがデリカの作業室でそちらの女性社員に1週間前くらいに捕まり、若い女性に頼まれると弱くてうな重予約しちゃい、昨日は安月給の身でバカ高額な夕食弁当をいただいた…んだが飯が不味いってか、新潟県で飲食商売するというのに飯が不味くてはダメだよな。

購入したのは村上春樹の短編集「一人称単数」。実は「猫を棄てる」は購入してない、どうしちゃったんだろ春樹さんって思いでスルーした、春樹さんの父親が中国戦線でどうこうって、ねじまき鳥で「きっとそうなんだろな」と本人も前後で記し読者も暗黙というか、自分が直接語るって必要がないんじゃないかとわたしは思ったんで、読みませんでした。とはいえこちら「一人称単数」は創作、楽しく読ませていただきます。「ヤクルト・スワローズ詩集」という短編が入っており、あれじゃん「夢で逢いましょう糸井重里との共著中でいくつか名フレーズを挙げておりましたね。

磯崎憲一郎著 日本蒙昧前史 感想文

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傑作、楽しい読書で読み終えるのが寂しいつらいもっとおかわりという気持ちになった。高齢になってから長編一冊2日で読み終えるなんて久しぶりの体験です。

わたくし世代(団塊世代→プラス10年)にとって取り上げられてるイベント・イシューのすべてが既知であり、ただ作中の述懐などがフィクションか、巻末の資料の脚色程度なのかまでは分からない。プロローグでグリコ森永事件での江崎社長のサスペンスな心中にドキドキだがあっという間に暗転、日航ジャンボ平和相銀キャバレーハリウッドとずいずいドラマは進み登場人物たちはみな汗かき真面目に再現ドラマの主人公を律儀に演じては去り、でも福田赳夫とキャバレーホステスとがちょっとドラマを引き締める部分、ウッディアレンの映画みたいでとてもすてきだ。

その後の山下五つ子ちゃん、万博土地収用公務員の悲哀、そして万博目玉男、横井庄一さんと脈絡ないまま、とんちんかんに首傾げながら狂想に加担しふと溶暗してゆくさまを描く筆力を嬉し羨ましく感じつつ読み進んだ。

奥泉光の「東京自叙伝」は、毎度のことでローテ失敗作として残念な読書体験としか記憶に残ってないが、奥泉もできればこういうクロニクル譚を想起して書き始めたのかもしれない。こちらの小説「ゼウスガーデン」的な逞しく美しい小説の構築力をごく自然に保持していて、ありえないくらい不思議な求心力を保ちながらゆったりとディミニュエンドとなり、読者も脱力で嬉しかった。

とはいえ、こういうクロニクル絵巻を作者がこの後も描き続けたいと願っているならそれはとても嬉しいですが、どんなもんだろ。磯崎憲一郎をまったく知らずに読みはじめたのだが、読了後にWEB上で「電車道」という作品に関する問答をみつけた。

磯崎憲一郎・インタビュー 時代を超えて、繰り返されてきたこと 『電車道』刊行記念 | インタビュー | Book Bang -ブックバン-

そうなんだ「ゼウスガーデン興亡史」とどっちが凄いか、こんど読んでみようと思った。